桜が丘通信2026

米市楽座

9月26日(土)

宇和米博物館にて行られた米市楽座に生物工学科の生徒4名が農産物や加工品の完売に参加しました。生徒たちは自分たちで栽培した野菜や加工品の販売を通して地域の方たちとの交流を楽しんでいました。

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宇和高校サッカー部 選手権大会結果報告

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9月20日(日)、丸山公園多目的グラウンドで、第105回全国高校サッカー選手権大会愛媛県大会の1回戦が行われ、本校は野村高等学校と対戦しました。

前半は0-0の拮抗した展開でした。後半に本校が先制しましたが、その後、相手に2点を許し、1-2で敗れました。

ここまでチームを引っ張ってくれた3年生2名に感謝するとともに、この悔しさを糧に、より強いチームを目指して練習に励みます。

引き続き、応援をよろしくお願いいたします。

桜が丘通信2025

大島青松園へ

12月26日、西予市生活福祉部人権啓発課主催の「塔和子顕彰事業(大島青松園訪問事業)」に、人権委員や生徒会などの9名の生徒、3名の教員で参加しました。片道約2時間のバスと約30分の船を乗り継ぎ、目的地の大島青松園に到着しました。行きのバスの中では、自己紹介やこの研修の目標を一人ひとりが述べました。そして、大島青松園では、まず初めに社会交流会館でハンセン病やその歴史、大島青松園、入所者の生活など様々なことを教えていただき、理解を深めることができました。また、この施設では、入所から人生を終えるまでの一生をじかに感じることができました。特に、大島青松園は全国で唯一丸ごと療養所であって、島には入所者と職員のみしかおらず、船で島へ向かう時には片道切符を持ち、家族に迷惑をかけないように家族と縁を切って入所すること、また偽名を使っていたこと(骨壺にまで偽名を使っていたこと)、さらに葬儀をあげるために宗派が聞かれたり、検体のためにサインをさせられるなど、入所することは生きては帰れないなど、お話をいただき入所者や家族のことを思うと、胸に熱いものがこみ上げてきました。

 昼食後は、大島会館でハンセン病回復者の常二さんに体験談をお話ししていただきました。常二さんは現在92歳で西条市出身、昭和17年に11歳で大島青松園に入所しました。「入所する時にはどのような気持ちだったのですか」と質問させていただくと、「小学校の検診で感染が発覚し、警察が自宅に(説得に)やってきた。その後母親が高松(大島青松園)に行くかと聞いてきて、汽車に乗れる、船に乗れるという楽しい気持ちで高松へ診察に行けると当初思っていた。しかし母親は泣いていた(どういうことか知っていたから)。そして、兄を見送る際に自然と涙がこぼれ落ちた」とおっしゃっていました。ここでこの療養所からは故郷に帰ることができないと自覚したのではと思いました。また「故郷に帰りたいという気持ちはなかったのですか」と質問させていただくと、「5年間帰れなかった、いや自分で帰らなかった」と言い直されました。「帰ったら嫌われる」という思いや家族に迷惑がかかるという思いから自ら帰らなかったということです。家族に会えない、家族に迷惑がかかる、少年時代の常二さんはどれだけつらい思いをしたのか計り知れません。そのような中でも、前を向いて強く生きてこられたことにも感動しました。ちなみに楽しみの一つに野球があったそうです。

 様々な思いを胸に、その後、フィールドワークに出かけました。納骨堂には2,000名を超える多くの方々のお骨が納められており、その骨壺には偽名が使用されていると聞きました。また火葬場の近くには風の舞(モニュメント)がありました。以前は火葬する差には入所者が海岸で薪を使用し火葬していたとも聞きました。その風の舞(モニュメント)は「せめて死後の魂は風に乗って島を離れ、自由に解き放たれますように」という願いが込められているそうです。最後に、解剖台を目にし、大島青松園を離れました。帰りのバスでは、一人ひとりが研修の感想を述べました。実際に大島青松園を目にし、ハンセン病回復者の常二さんより体験談を話していただける貴重な機会となったと思います。来年度以降も引き続き参加するとともに、今回経験したことをみんなに伝えていきたいと思います。

船へ船内船前集合写真社会交流館社会交流館2上原質問松本つねじ体験談松本つねじさんへお礼松本つねじさんと記念撮影

納骨堂へ献花火葬場モニュメント

解剖台バス内感想

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